聖なる夜。高松昂大が入社するまでのヒストリー
みなさん、こんばんは。
京都のスタートアップITベンチャーDressCreate(ドレスクリエイト)総合代表の河野匠です。
昨日はドレスクリエイトの草野球チームを創る!という記事をご紹介致しました。 ∟http://dresscreate.co.jp/archives/5498
いやーゾクゾクしますね!
今日はクリスマスイヴ
ご存知の通り今日はクリスマスイヴです。 こ
の聖なる夜に敢えて、 幹部の高松昂大が入社するまでのヒストリーをご紹介致します。
高松昂大との出会いは小学校
実は小学校の4年生の時から知り合いでした。隣の小学校の少年野球の主力として活躍していたので、勝手にお互いを知っていました。
よく試合することもあり、交流会などで出会えば 「早くバッテリー組みたいな」 と言い合っていたのを覚えています。
同じ中学校に入学
同じ中学校に入り、さらに仲が良くなり、毎日のように遊んでいました。しかし、僕がクラブチームに進んだことでバッテリーを組むという夢は裏切る形になりました。
この頃の性格は正反対。生徒会のエリート高松と野球バカでまさに若気の至りが過ぎていた僕。
周りからは凸凹コンビと言われていました。
しかし仲が絶えることはなく、 高校こそは一緒に野球しよな。
と言っていたのを覚えています。
高校に入学
しかしゾッとすることに、高松が違う高校へ入学。今度は高松により夢が遠のきました。笑
しかし、鍋パや食事など高校でもたまに他の仲間も含め遊んでいました。 免許の教習合宿も一緒に行きました。
このあたりの思い出は今も根強く残っています。
ほぼ合わせて行ったようなものですが、再び同じ学校に通うことになりました。
大学の仲間を含め旅行に行ったり、車中泊の旅に出たり、バイトも同じ。
そして、草野球チームではバッテリーを組み、大会で優勝したりしました。
大学に入学
しかし、まさかの同じ大学に入学。ほぼ合わせて行ったようなものですが、再び同じ学校に通うことになりました。
大学の仲間を含め旅行に行ったり、車中泊の旅に出たり、バイトも同じ。
そして、草野球チームではバッテリーを組み、大会で優勝したりしました。
まさに相棒かのように一緒に過ごしていたのですが、この辺りから、立場が逆転し始めていました。
僕は「起業」をするため、必死に勉強し、必死にアルバイトをしていました。
一方高松は放漫な学生ライフを過ごしていました。
どんどん僕は仕事にのめり込み、会う機会が減っていきました。
昔の凸凹コンビは立場が逆転し再び凸凹コンビとなりました。
きっかけは大学4回生の春
大学4回生になって、僕はますます事業を拡大しドレスクリエイトを1人で発足させた頃、高松とたまたま飲みに行く機会がありました。話題は「やりたいことがみつからない」というもので、就活とかどうすればいいかわからないということでした。
僕は既にやりたいことが明確にあったので、その感覚は分かり難かったのですが、友人の悩みに対して、 「一緒に起業するか?」という言葉がでました。
IT関係の会社に全く見合わない高松でしたが、1つ大きな武器がありました。
それは人あたりの良さです。
うちの営業を支える人材になってくれ!
といったのを覚えています。
漫才コンビ組もうとか、歌手になろうとか、甲子園目指そうとか夢を語って来ましたが、世界中を灯す会社を創ろうという夢に行き着き、それが明確なビジョンに変わりました。
半年経った現在の高松
めちゃくちゃ頑張ってくれています。今では社内で一番人数の多い営業部のトップとして活躍しています。
実績云々は結果論なので、まだまだな点はあるかもしれませんが実力は確実に伸びています。
将来は取締役になり、ドレスクリエイトの顔になるというビジョンを掲げて頑張ってくれているので、力を合わせて頑張っていきたいと思います。
身内の人間と起業するのは良くないという意見はあります。その真の意味が僕にもわかります。
しかし、身内以上の人間達と起業したらどうなるのか、この結束力を僕は誇りに思い、大手企業様にも食って掛かるつもりでございます。
それではまた明日。